Driver's High


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歌うヘッドライト
Posted: 2020年7月17日 23:47 自動車コラム

すべてが「名車」扱いなのになぜ? いすゞが乗用車から離れて「復活しない」謎
https://www.webcartop.jp/2020/07/551936/

「復活できない」んですよ。いすゞは

そもそも、ディーラー網再整備のコストよりも何よりも大きな問題がいすゞにはあって、何でいすゞが乗用車事業から撤退したのかと言えば、経営不振が一番の理由であるのだが、何故不振に陥ったかということを紐解けば、コレは「大型車で上げた利益を乗用車で食い潰すような経営をしていたから」である。

いすゞの体質はニッサンやミツビシ、或いはスバルを更に極端にしたような技術偏重・コスト軽視であり、それが世界でも有数のディーゼルエンジン技術として結実している反面、トヨタやニッサンほどのシェアを持たないにも関わらず、上記の記事の写真にある117クーペのような「背伸び」の過ぎた車を作りたがり、それにゴーサインを出してしまうという部分に現れている。
(自社開発ではないものの、ステーツマンデビルのようなデボネア以上に誰が買うのか分からない車の販売も手掛けていたし、大型車ですら国鉄専用型式のバスのように理念先行で実利が伴わない車を作ってしまっている)

そんな「身の丈に合わない」ところを車好きは愛したのだと思うが、故に大型車が苦しくなってきてからは乗用車に対する補填が効かなくなり、まだバブルの余韻が残る93年に乗用車撤退という屈辱的な判断を迫られた他、乗用車から撤退してもしばらくは大型車も苦しいままで、「いすゞが危ない」というようなことを連日のように報道されていたほど。
(結局のところ、2000年代前半の大型車の強制買い替え特需で復活)

スバルやマツダ程度に慎ましやかにやっていれば今も「個性的な乗用車メーカー」としても生き残れていたかもしれないが、「3大メーカー」に祭り上げられるほど大々的に手広くやっていたのだから、そりゃニッサンですら潰れかけたのに、それよりも脆弱ないすゞが生き残れるワケがない。

いすゞは乗用車撤退の直前にもビークロスのような先進的なだけではなく、10年20年先を見通したようなコンセプトカーをモーターショーに出品しているように、「夢を語る」のは大いに得意なメーカーだったけど、夢だけでは飯は食えぬ。

故に、その「どんぶり」な体質を何とかしなければ、仮に再参入したところでまた潰れかける(今度はホントに潰れる?)だけなのである。

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STAY NIGHT
Posted: 2020年7月13日 21:16 自動車コラム

「後席重視」の常識に大きな変化! いま高級セダンが続々「スポーティな走り」を追求するワケ
https://www.webcartop.jp/2020/07/545339/

・・・いわゆる「ガラパゴスな価値観」というか・・・。

本来、ショーファードリブンを本質とするパッセンジャーカーはセダンでは「敢えてそういう風に作られた車(センチュリーや各種リムジン等)」くらいであって、Fセグメントクラスのモデルであっても、大昔から本質は「パーソナルカー(ドライバーズカー)」である。

そもそも、大昔から動力性能の高い大型スポーツセダンは富裕層の定番だったわけで、ベントレーやジャガーなんかがその辺りの最たる存在である。

だから、セダンである以上、「人を乗せる」ことは普通だけれども、実際常に運転手を付けないと格好が付かない車っていうのは、実はあまり多くない。

これはロールスロイスくらいの車格になっても基本的には変わっておらず、ロールスで運転手付きであることが前提としている車はファンタム(ファントム)くらいよ。

ファントムが一時期無かった頃(90年代とか)はSZ系のボディでメーカー純正のリムジンや、各種コーチビルダーの改造リムジンもよく出てたけど、これですらベースは「パーソナルカー」なんだから、リムジンとはいえ主人が自らハンドルを握っていても何らおかしいところの無い、半分パーソナルモデル的な位置づけでもあった。

もうこれが一番短いシルバースピリットともなれば、大きな顔して後席でふんぞり返ってたら笑われるレベルの車だった。

そういう意味で、自動車は馬車文化から分離・発展した文化なので、本質的には運転手と主人という関係は原理的なものではあるのだけれども、「高級車=ハンドルを握る車ではない」あるいは「車=乗せてもらうもの」という発想が他の国よりも低いハードルで受け入れられている日本は、これはもう「日本独自の自動車文化」であるとも定義できる。

敢えて運転手を付けてまで車に乗るということ自体には理由は色々あるが、基本「手を動かす」ということを一等下に見る、要するにバスやタクシーの運転手を見下す人は割りと居るし、そもそも雲助やアッシーなどのような運転手に対する蔑称も日本には多くあるように、運転することを一種の「穢れ」と見る日本的な文化が自動車と融合したもののように思うね。

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割高感の正体
Posted: 2020年7月13日 18:25 自動車

https://carview.yahoo.co.jp/news/detail/b34c53e7f085500be74afa83e047ba0838526c9b/

個人的にはモノグレードだからだと思うな。

ホンダのシビックや、トヨタのグランエースと同じような感じ。

車好きはこの車の素性について色々仕入れるから、ジュークと比較しての、というか自分たちが冷遇されていることに対するネガティブ要素も大きいだろうけれども、一般的に考えて280万のグレード1本っていうのは非常に辛いよね。

チラシとかでも本体価格280万~と書かれたら、ぱっと見エクストレイルやセレナよりも上級車種に見えちゃうわけだし、そもそも300万の予算を持ってない人は自動的に射程圏外になるんだし。
(まさか"一応"新車なのに50万引きからスタートなんてことは無いだろう)

結局、なんでお買い得グレードとか客寄せの廉価グレードがこの世に存在しているのかと言えば、当然ながらバリューフォーマネーで他と見比べながら「得」を前提に買い物する人のためであって、それが無い・あって当然のはずのものが無いキックスが高く感じるのは当然。

だから、ハイブリッド(e-POWER)専用車と割り切るならある程度以上安いグレードを用意するのは難しいだろうけど、少なくとも50万安いグレードも設定しておけばまた話は別だった気がする。

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レガツー
Posted: 2020年6月25日 15:05 自動車コラム

レガシィB4 受注終了で歴史に幕! 名門消滅に現場の声は?
https://bestcarweb.jp/news/165952

レガシィは知っての通り1代でワゴンブームを巻き起こし、そのド中心に居たくらいの車だけど、対するセダンは中身自体はほぼ共通だけど相対的に平凡で、最初っから不人気だったんじゃがの・・・。

結局貨物車臭が全く無く、しかもスポーツカー並みのハイパフォーマンスワゴンというのは昔は無かったが、それがセダンになるとレガシィが出る頃にはもうあったので・・・。

それでも初代はまだラリーに出てたし、当時良く流れてた10万km耐久走行のCMに出てたのもセダンだったので、モータースポーツファンには認知度があるかもしれないけど、ラリーから撤退し更にワゴンブームが加速した2代目なんかは酷いもんだった。

レガシィが100台居たらそのうちの95台はワゴンってレベルにセダン居なかったからね。

あまりにセダンの不振が深刻で、下手するとセダンの存在が知られてないレベルだったので、それではイカンとなったのが3代目。

このときに思い切ってラインナップをスポーツ寄りに整理し、サブネームにB4って付けたらそれなりに売れてセダンも認知されるようになったんだけど、それでも最後までワゴンの方が主力だったような車なんだから、なんというか「名門」って言われても違和感しか・・・

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IS(インフィニット・ストラトス)
Posted: 2020年6月23日 02:12 自動車

次期レクサスISの姿は...ISがフルモデルチェンジしなかったのは、次期モデルでマツダFRへの合流のを決めたから!?
https://motor-fan.jp/article/10015233

5年前だったら信憑性のある話でしたな。

最初にマツダのラージFR構想が浮上してきたときには、「大型FRシャーシ・直6・(現)SKYACTIV-X」という、同時進行なら失敗すれば会社が潰れるレベルの情報も同時に上がってきてたから、単独ではやや現実味の薄い話だった。

しかし、当時はトヨタと仲良くなった手前、健在だったマークX他トヨタの中型以上のFR車のモデルサイクル的にもぴったりという、情報が出てきたタイミング的にはあまりにも絶妙だったから、トヨタを巻き込んだ話になるならそう邪推する余地もあったものの、トヨタはTNGAがFRにも対応した上、マツダはマツダで当初の見込みよりもスケジュールが延び延びになってるんだから、むしろ信憑性に欠ける部類の話になっていると思う。

そもそも、マツダは会社の規模的に昨今のモジュールプラットフォーム構想に追従するメリットが薄いので、敢えてそれから逸脱する設計思想を選んでもいるので、あくまでレクサスのエントリーモデルとして中型に留まりたいISと、マツダのフラッグシップとしてさらに背伸びを望みたい6では、結局それぞれがほぼ独自設計になってしまって、正直トヨタにもマツダにも益の無い話のように感じる。

ほとんどフルモデルチェンジと見紛うばかりのISの改良だけれども、トヨタはプロボックスでも似たようなこと(こっちは上屋は昔と一緒でシャーシを新しいのに差し替えた形だけど)やってたので、実際これが事実上のフルモデルチェンジ扱いで、このまま更に5年くらい売って、普通に新プラットフォームに移行するのが現実的、と思うが、どうか。

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BBちゃんねる
Posted: 2020年6月 8日 03:52 自動車コラム

人気車だったのになぜ凋落? トヨタ bBが陥ったワナ
https://bestcarweb.jp/feature/column/159126

bBは初代も2代目も若向けの車として企画された、それは間違いないのだが、初代が成功作となった理由としては、実際には幅広い年齢層に受け入れられ、むしろ中高年代のユーザーの割合が高かったからとされている。

初代がそういう風に幅広く受け入れられたのは、クリーンでボクシーなデザインが良かったと言われているけれども、どういうわけだか2代目はそれを良しとしなかったのか、若者向けを強調するために中高年代には敢えて嫌われるコンセプト・デザインに走った感じがある。
それが最大の失策でしょうね。

若者向けという言葉はある意味女性向け並みに解釈が難しく、カスタムベースだとかマイルドヤンキーだとか色んな言葉や理由をひねり出してはいるものの、ある程度物事に対する定見も定まり、悪く言えば価値観に多様性が無くなる世代ではなく、感受性が強く価値観が多様な層に対して正解を見つけ出すというのは並大抵のことではない。

また、自動車という製品の特異なところに、「中高年のみが買うの車は存在するが、若年層のみが買う車は存在しない」という点である。

自動車の購入動機の本質は実は「大人」なのであり、大なり小なり中高年代の影響を受けて若年層も車を選び買っていく。

予算を区切らずに好きに車を選ばせればみんな高級車やスーパーカーを選ぶように。

そういう意味では「自動車」というものに皆が何を期待しているかというのは老若男女ある程度共通していると見ていいし、つまり中高年を切り捨てるっていうのは事実上若者も切り捨てるのと同義でもある。

そうでなくても最大の需要層を切り捨てにかかったのだから、最初から失敗が約束されていたような形でもある。

トヨタって何故かそういう「嫌なら買わなくていいです」っていう「引き算の勝負」を掛けることがあるけど。

そもそも初代bBは自動車のエンジニアリングに対する実験素材的な部分も大きく、そういう意味で自由に作れた車であるとも言われるので、「普通の車」「大ヒット作の後継」として出発することを強いられた、或いは「若者向けの車」という自動車業界永遠の幻想に囚われた2代目は、「自動車業界のダメなところ」の縮図みたいなものかもしれん。

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The Power of Dreams
Posted: 2020年5月25日 20:35 自動車コラム

https://taku2-4885.hatenablog.com/entry/2020/05/24/121938

今のマツダ3には「パワー(速さ)」という自動車最大の「色気」が欠けてるので良いニュースになるといいなぁ。

最も先代も「マツダスピード」が出ると言われたまま何事もなくモデルチェンジまで至ったことを忘れてはいけませんけど。

兎にも角にもレクサスもそうだが、ジャパニーズプレミアムは何故か「パワー」をブランド力と考えない、或いは意図的に忌避しているから弱い。

いくらデザインが良くても車は美術品ではないので、眺めているときの見目麗しさというのは、あくまでも持たざる者が抱く羨望であって、ドイツ勢がハイブリッドだのEVだの言いながらも、一方ではV8やV12のツインターボも当たり前のようにカタログに残しているように、持つべき者からすればあくまでパワーこそ力なのだ。

結局ディーゼルゲートくらいまでのマツダが上り調子だったのは、ディーゼルのトルクという「パワー」があったからで、見た目は客寄せの要素でしかない。

逆を言えば、ディーゼルという「武器」が使えなくなったマツダがなんだかんだ言われながらも下り調子なのは、ディーゼル以外に「武器」が無いからに他ならない。

カッコいい車の足が遅かったときの失望はね、最初からそんなの期待してなかった時の比ではないのよ。
(逆の場合はそれだけでお客さんが買っていくこともある)

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ボンゴ
Posted: 2020年5月21日 01:00 自動車コラム

超名門商用車マツダ ボンゴ終了 89年続いた商用車独自開発からなぜ「いま」撤退?
https://bestcarweb.jp/news/153726

商用車の開発は乗用車とは違ったノウハウが必要なので、それはそれで開発に金のかかる存在であるとは意外に認識されていない。
(むしろ乗用車の内装を剥ぎ取ってお手軽に作れるとすら思われている)

最小限の体積に最大限の荷室と法規を詰め込まなければならない。
荷室は単に容積が大きいだけではなく、規定のサイズの荷物が間違いなく載らなければならない。
乗用車と違ってナンバーの違いは今も人権の違いでもあるので、おいそれと大型化も出来ない。

そういう意味では基本設計が40年前のボンゴというのは、化石であるが故に逆に存在が最適化された存在になっていて、新開発しようにも今のボンゴのユーティリティを今のマツダの体力では実現する力が無い。それだけのことなのだ。

ボンゴは現代的なユーティリティを持つワンボックスカーの開祖的な存在で、一時期はクラスの代名詞にもなるほどの存在だったけれども、恐らくそのボンゴを作ったノウハウも今のマツダには無い。
(そもそもボンゴの歴史自体、マツダの経営に振り回されて山あり谷ありで、素直にモデルチェンジまで至ったことが一度もない)

今よりも狭くなるか大きくなるかならば出来ないこともないだろうが、それなら最近仲のいいトヨタから狭くなるならタウンエースを、大きくなるなら(すでに貰っているが)ハイエースを貰えばいいし、その方が効率がいい。

そもそも、最小の中に最大を詰め込まなければならないという意味では軽自動車は商用車と似通っているが、軽自動車すら自前で作れないんだから、今も意外と体力無いよ。マツダ。

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ダイソンさんの憂鬱
Posted: 2020年5月21日 00:45 自動車コラム

https://japanese.engadget.com/jp-2020-05-17-ev-965km.html

電気自動車って、その成り立ち的に家電メーカーやIT企業のような企業が己が強みを武器に殴り込んできて、業界の勢力図が一変するんじゃないか、なんて推測があったけれども、実際はこういう異業種参入が大企業でも尽く失敗してる辺り、自動車をやるのは本業の片手間では無理っぽいぬ。

逆にテスラのように、ベンチャーとしてほぼそれ一本で突き進んできた会社の方が残ってるっていう。

まあテスラが今をもってマトモな会社かという点はまず置いといて。

結局、自動車の成り立ちは元々は金持ちのお遊びから発展していった文化・産業であり、或いは究極のマスプロダクションとして発展していった世界であるので、兎にも角にも湯水のようにカネがかかる。

真っ当な経営感覚を持った「優秀な」人間であるほど、形になるまでの途方も無い出費と手間の前に尻込みしてしまうだろうし、逆にイーロン・マスクみたいな詐欺師一歩手前のラッパ吹きほど自分の思うように邁進するという意味で向いているのかもしれん。

或いは日本の黎明期の自動車産業や中国みたいに徹底的に業界を保護・指導し、強引にでも成り立たせるか。

そもそも、自動車の新型車をガチで開発すると1台辺りの開発費が数百億円とかいう世界であるんだけれども、ダイソンの旦那が自腹で出したという資金にしても、車そのものの開発費としては結構なものだが、「新規参入」としてそれに付随する技術や販路等の開発・開拓まで含めればヘタすれば投資が一桁足りないとしか言いようがないし、仮に車自体は物になっていたとしても、会社としてやっていけるようになるまでテスラみたいな「博打経営」に耐えられるような感覚があるとも思えない。

そんなわけで、自動車産業って一旦成立すればその裾野の広さなどから強大な産業となるものの、色んな意味で魍魎跋扈する不思議な世界なのである。

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カッコインテグラ
Posted: 2020年5月14日 19:14 自動車コラム

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なぜ消滅続出?? 日本車が何度も挑戦し何度も挫折した「小さな高級車」たち 4選
https://bestcarweb.jp/feature/column/151175

何度か触れているけれども、「小さな高級車」というカテゴリーはイメージに反して所詮は「オタクの乗り物」なのだ。

理由は単純で、日本では明確な身分制度が存在しないので、この手の車の需要自体が存在しない。

高級車は大きく、豪華で、綺羅びやかでなければならない。
それは日本に限らず万国共通の認識である。

そういった要素を小さなボディに詰め込むというのは、所詮理詰めを好むオタクの発想である。

大きいのが辛いからダウンサイジングで・・・となったら、誰でも遠慮なく軽自動車に乗れ、そしてそれで後ろ指指されることが無いのが日本なのだ。

恐らく「小さな高級車」の原型はイギリス車だと思うが、逆に何故イギリスにこういう車が存在するか、となると、それはイギリスの市場性的に、メーカーごとに明確な「序列」が存在し、またその「序列」に従ってユーザーとなる人間の身分・属性が明確に分かれているからとなる。

だから、イギリスではいくらカネを持っていてもロールスロイスとかに「庶民」は「乗れない」し、その逆も然りなのだ。

代表格であるバンデンプラス・プリンセスなんかも、ベースは大衆車ではあるけれども、上流階級の人間が乗るために設えを変え、ブランドを変え登場しているのであり、決して「庶民」のプチ贅沢のために作られた車ではない。

近年で言っても、アストンマーチンのシグネットは中身はトヨタで値段も「普通の」アストンマーチンより遥かに安価だったが、決して庶民に売る気は無かった車なのである。

それにこれはイギリス独自のガラパゴス文化であるとも言える。

同じヨーロッパでもイギリス以外では小型高級車の需要は基本的に低く、かつてのルノー5のバカラが「小さいのに豪華である」と話題になる程度には需要が無い。

だから、需要が無いところに無理やり突っ込んでいっても、そこに客が居るわけがないのである。

***
そもそも、「小さな高級車」というカテゴリーが日本で定着しないのは、ホンダのインテグラが一介の小僧車で終わった時点で最早明白だろう。

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