Home > 自動車コラム > 終わりの見えない市販車の「パワー競争」 一体どこで頭打ち?

終わりの見えない市販車の「パワー競争」 一体どこで頭打ち?
Posted: 2017年3月18日 22:58 自動車コラム

http://www.autocar.jp/news/2017/03/18/211701/

こういう論争は度々起こる。

特に90年代くらいまでの自動車のハードウェアの技術革新が目覚ましく、高い車に限らず大衆車レベルまでモデルチェンジごとにパワーアップが続いていた時代なんかには、例えば「カローラのパワーは20年前と比べて倍近くになった。では将来は今のスポーツカー(例えば300馬力とか)並みになるのか?」と。

しかしながら、バブルの頃くらいまでは確かにこのまま無限にパワーウォーズが続いていくのではないか?なんて思えたこともあったけれども、実際のところはファミリーカーのパワーウォーズはとうの昔に収束し、エンジンのサイズ・パワーともに概ね横ばいといったところである。

結局のところ、それっていうのは開発のコストも然ることながら、商品としての効率だとか信頼性だとか扱いやすさだとかを考えれば、素人さんがスーパーカー並みの車なんて扱えるわけがないわけで、そういうところの妥協点が今の量販車の数字だと思うのね。

***
逆にスーパーカーや超高級車はどうなのか、と言われれば、これはもう損得を度外視してそういうのを欲しがる人間自体は居るわけだから、お金を払っていただける限り・技術革新が続く限りは青天井に伸びていくと思うよ。

例えばかつてのブガッティ・ヴェイロンが1000馬力のパワーに耐えられるタイヤの開発に難航したから発売が遅れたとも言われるように、その数字に耐えられるモノが1つ足りないから出せないとかそういうことはあっても、将来的に解決できる範囲のものならばそのうち解決して商品化に漕ぎ着ける事は可能なわけで。

そして今のスーパーカー軍団が700馬力とか800馬力とかの争いになっているのは、昔は例えば実験室レベルでなら出来ても商品としては作れなかったものが、例えばまさにヴェイロンみたいな半ば走る実験室みたいな車の開発など、そういう経験と技術の積み重ねを通して成立させることができるようになったからでもある。

だから、そこのところの限界は純粋に自動車として成立する範囲に数字が収まるかどうかというところのみしか成立条件が無いわけだから、頭打ち=これ以上理論的に伸び代が無くなる時である。

Comments:0

Comment Form











右カラム