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History of INFINITI Q45
1989 インフィニティQ45発売


▲G50型インフィニティQ45(前期モデル)
何にも似ていない、圧倒的な個性を身に纏った前期モデル。コンセプトは「ジャパンオリジナル」。 デザインスケッチよりも前衛的になっている車、そんな車も珍しい。



▲G50型インフィニティQ45(前期モデル)
実はコレ、カタログに載っている写真なのだが、見ての通りパイロンスラロームである。 高級車でもワインディングロードを走っている写真を載せる事は良くあるが、 スポーツカーでもないのにこういう写真をカタログに載せてしまう辺り、この車の性格を物語っている。

1989年、日本では年号が平成に改まり、また世の中もバブル景気の真っ只中、高額車種が飛ぶように売れていた。

前年の88年には「シーマ現象」が流行語となったシーマや、高級スペシャリティカーの代表格・ソアラが「女子大生キラー」と呼ばれ爆発的に売れたのも、 マークII3兄弟の販売台数がカローラを追い越したのもこの時代のことである。

この時代は名実共に欧米各国に肩を並べつつあった日本が、ある意味では飽和状態にあった国内市場から抜け出し、 更にはいよいよ欧米の独壇場であった伝統と格式への挑戦を始めた時代でもあった。

インフィニティブランドは当初より世界最大の自動車マーケットである北米をターゲットにした高級ブランドとして企画され、 89年春より日本に先駆けてデリバリーが開始されていた。

当初の設定車種はフラッグシップたるQ45、そして2ドアスペシャリティのM30の2モデル。

Q45はご存知の通りインフィニティのために企画された高級サルーンであり、 M30は日本のF31型レパードをベースにインフィニティ向けにモディファイが施されたものだ。

奇しくも時を同じくしてトヨタの高級車ブランド・レクサスも産声をあげる。

Q45と同じくレクサスのために一から開発されたLS400(のちのセルシオ)を旗手に、 ES250(カムリプロミネント)の同じく2モデル体制でのスタートであった。

日本の2大メーカーからほぼ同時にリリースされた世界レベルの超高級車。しかも、個性は全く違うこの2台の登場に、好景気に沸く日本では大きな注目を集める事となった。



▲G50型インフィニティQ45(前期モデル)
Q45の大きな武器のひとつが、走りの良さである。 当時日産は901運動と称して、走りのレベルの向上に余念が無かった。 GT-Rの4輪マルチリンクサス+アテーサE-TS+スーパーHICASを一つの頂点とするならば、 Q45が持つこの4輪マルチリンク+油圧アクティブサスはもう一つの頂点である。

さて。

日本でのQ45は名前にこそインフィニティの名は残るものの、 北米市場のようにインフィニティブランドが構築される事は無く、日産ブランドの最高峰として89年秋に登場した。

華々しくデビューしたその姿は4年前の東京モーターショーで公開されたCUE-Xのイメージをそのまま持ち込んだ車であった。

高級車の定石というものを尽く捨て去ったその姿はスポーティで若々しく、ウルトラモダーンかつオリエンタリズムに溢れており、 少なくとも何にも似ていない、「ジャパン・オリジナル」というコンセプトに偽り無き車に仕上がっていた。

それはトヨタの威信を賭けてスムーズ&サイレント、 そして威風堂々かつ上質と高級車の碇石を極限まで磨き上げていったセルシオとは全く正反対の車であった。

しかし、高級車としてはブッ飛びすぎていたQ45は、日本ではその個性が世のオジサマ達の趣味に合わず、アメリカでは内外共に男臭いイメージがマダム達の趣味に合わず、 またレクサスはクリアしていたガスガズラー税(日本のグリーン税制みたいなもの)に引っかかっていた事もあって見事にレクサス(セルシオ)の後塵を拝する事となる。

前期型の個性たち
■グリルレスマスク+七宝焼き製エンブレム
やはり一番最初に目に付くのはこの部分である。グリルの代わりに装着されるのは存在感ある七宝焼きのエンブレム。 薄いヘッドライトやエアインテークすら目立たないバンパーと合わせて、あっさりとした佇まいながらも強烈な個性を発している。

しかし、インパルが前期型用ダミーグリルを売り出しているのだが、コレが飛ぶように売れてしまったという辺り、 如何にこのデザインが不評だったかという事がわかるというもの・・・



▲エッグシェルインテリア
当時の日産車にはY31シーマやC33ローレルにも白革インテリアの設定があった。 その他にも後のプレジデントのコノリー社製レザーや レパードJフェリーのポルトローナフラウ社製レザーなど、 インテリアにはかなりの拘りを持った車が続々デビューしている。



▲KOKONインスト
有名な漆塗りパネルを用いたインテリア。 漆といえば、漆黒というイメージがあるが、偏光塗料としてまぶされたチタン粉のせいか、青みの強い色合いをしている。

■KOKONインスト
本来ならば木目となるインテリアフィニッシャーを漆塗りのものにしてしまった。

インフィニティQ45はいわゆるウッドパネルを一切用いない、極めてモダンなコンセプトの下にインテリアをコーディネートしていたが、 そのウッドの代わりに価値観を見出したのが、漆塗りに多層の装飾を施したこのKOKONインストであった。

当時のニッサンはQ45に限らず漆塗り(調)の仕上げを好んで使っていたが、 それらのものは「漆」というもののステレオタイプな色合い、つまりまさに漆黒のものが使われたのに対して、 この車にはその独創的なコンセプトをそのまま表現したかのような 新進気鋭の若手漆職人が手作業で酸化チタン粉や金粉などを塗布して鮮やかな色合いを持たせた独特のものであった。

この車を語るにあたってあまりに有名で、かつウッドパネルの代替に十分以上の価値があると思えるのに、何故か装着されている車はあまり見かけない。

■エッグシェルインテリア
漆塗りに並ぶ、もう一つの有名なポイント。国産車には珍しいホワイトレザーを用いたインテリアコーディネイトを行っている。

この当時の日産はインテリアについてはかなりうるさく、このホワイトレザー以外にもコノリー社(プレジデント)やポルトローナ・フラウ社(レパードJフェリー)など、 世界でも名立たるメーカーの上質な革を積極的に採用していたり、 国産車ではあまり見られないような派手なコーディネート(Y32型シーマのブラックチェリー内装)でインテリアをまとめていたりした。

エッグシェルレザーはそれ単独でも選択可能であるが、やはりココは「和」をモチーフにしたという、前途のKOKONインストとのコンビネーションを楽しみたいところ。

■豪華なオーナメントキー
白革や漆塗りパネルは「趣味性」で片付けることもできるが、Q45にはひとつ、この時代だからこそ出来たシロモノが設定されていた。

それは「18金」純金製オーナメントキーである。

キーのデザイン自体は標準のメインキーと同じものであるが、素材が純金、 値段は「時価」52万円、つまり金相場の変動で価格が変化するという、二重に驚くべき価格設定。

ただでさえ少ないQ45のオーナーの中から、 税も入れれば60万円近くとなるこの鍵を一体どの程度選んだのかは定かではないが、 その黄金色の輝きが「バブル」という時代の華やかさと異常さを象徴するとして、 今も尚Q45の「装備」の代表格に挙げられるものである。

とはいえ如何にバブルでも流石にこのキーは鍵本来の実用用途ではなく、どちらかと言えばシンボル的な意味合いの強い装備 (例えば手放したいときには貴金属商に見せろなどの資産運用的な注釈が付いており、明らかに実用を意図していない)であったが、 一応溝を掘ればメインキーとしても使用は可能である。



▲4輪マルチリンク+油圧アクティブサスペンション
901運動の成果の結晶がまさにこのサスペンションである。 乗り心地と走行性能という相反する要素を極めて高い次元で融合させた、夢のサスペンション。 このアクティブサスはこの後にシーマにも移植されたが、G50系のような4輪マルチリンクサスは採用されなかった。

■油圧アクティブサスペンション
ニッサンが当時推し進めていた「901運動」の結晶であり、前期型の半分以上がアクティブサス車である。 それだけ、アクティブサスペンションはこの車の顔とも言える技術。

アクティブサスペンションは従来のサスペンションとは違い、サスペンションそのものから動力を取り出し、 文字通り「アクティブ」に制御する技術である。

その威力たるや、F1の世界ではその圧倒的な速さでグランプリを席巻し、 市販車ではスポーツカーの走り・高級車の乗り心地・クロスカントリーカーのロードホールディングが同時に実現できる夢のサスペンションとして、 当時各社が開発に鎬を削っていた技術である。

ところが、如何に時代が時代でもアクティブサスシステムの構築に掛かるコストはバカになるものではなく、 優れていることは分かっていながらも採用に二の足を踏むメーカーが大半であった。

しかし、インフィニティQ45ではその「夢のサスペンション」を主力グレードに大々的に採用できる量産品にしてしまった。

まさにその乗り味はアクティブサスの理想通りのものであり、高級車のレベルを遥かに超えた走行性能を実現しながらも、 高級車としての快適性も非常に高い次元で実現するという、「技術のニッサン」を象徴するものであった。

ただ、純粋に運動性能と快適性能を秤にかければ当時の(そして現在においても)常識を遥かに上回るレベルでそれらの要素を両立していたアクティブサスも、 このテの車を買う客層からすればあまりにも「理想が高すぎた」。

ハードに攻めてもほとんど姿勢変化を起こさないスポーツカー並のフットワークに魅せられた人間も多かった反面、 やはりこの車は「高級車」であることも忘れてはいけない。

限りなくフラットで、その実ハーシュネスなどはほとんど入り込んでこない極上の乗り味を実現しているのだが、 「フワフワ雲の上を走るような」というような表現とは無縁の乗り心地である。

コレが妙に走行性能を重視したコンセプトと相まって、「不快な乗り心地」と感じた御仁は多かったようである。



▲VH45DE型エンジン
280馬力/40.8kgmの強大なパワーを発生する、日産の新世代V8ユニット・VH45DE。 2t近くにも達するボディを楽々と200km/hオーバーまで引っ張るだけでなく、 ナトリウム封入バルブを採用するなど、長時間の高速走行にも対応した本格派の世界レベルのパワーユニット。

■VH45DE型エンジン
Q45のために新開発された、新世代のV8エンジン。

それ以前にもY44型というV8エンジンはあったものの、 大元はといえば150系プレジデントの時代から存在するユニットであり、センチュリーの5V-EU型に負けないほどの旧式であった。

そのY44と比べればVH45は一気に最新のスペックを持つに至った。 弁機構はDOHC32バルブとなり、排気量は国産最大の4494cc(4.5リッター)まで拡大され、最大トルクで40kg-mを超える強大なトルクを発生させる礎となっている。 排気量だけではなく、2段階の可変バルブタイミングシステム(NVCS)も持ち、低速から高速までスムーズなトルク特性も同時に獲得している。 また、カムシャフトの駆動にはいち早くチェーン方式を採用し、トラブルに対する耐性も大幅に高めている。

そんなVH45は当時国産最強の280ps/6000rpm・40.8kg-m/4000rpmを達成している。 その数字は伊達ではなく、アクティブサスペンション車で1.8tを超える車体と、それらの機構が発生させる負荷をものともせず 楽々とメーターを振り切る速度まで加速させてしまう。 当時のBMW 750iLやメルセデスベンツ560SELと互角以上の走りを見せていた、というのも肯けるくらいパワフルなユニットなのだ。

もちろんただ速いだけでなく、エモーショナルなビートを刻んで高回転まで回ってみせたり、 実際にレーシングカーのベースユニットともなるなど「スポーツユニット」としても優秀なエンジンである。

■フルレンジE-AT(4速オートマチックトランスミッション)
別に形だけ見れば普通の4速ATであり、セドリック・グロリアのVG30DETモデル、フェアレディZのVG30DETTモデルなどとも同型となるトランスミッションであるが、 前期型は基本的に常時2速発進を行う。

これはスムーズネスさを狙った設定であり、当時のメルセデス・ベンツなども通常2速発進を行うモデルが存在するなど、 トラクションコントロールや電子制御スロットルなどの技術が登場する以前には時折用いられていた手法である。

そのほか、急加速時などには自動的にパワーモードに切り替わるオートパワーモード制御を行うため、 他車に見られるようなATモードセレクターは用意されていない。

しかし、インフィニティQ45に採用するに当たって制御系は一新されており、 滑らかなだけではなくレスポンスにも優れた変速と走りを新たに獲得している。

また、シフトゲートがニッサン独自のゲート式になっているのも特徴。 最近主流のメルセデスパターンとは違う、ストレートパターンとメルセデスパターンのいいとこ取りをしたような形状だ。

■高い安全性能
優れた走行性を生み出すプラットフォームは、その副産物として高い安全性能も生み出していた。

当時は所謂衝突安全ボディを高らかに謳う車は少なかったが、 この車は現在の基準においても一部の任意保険では衝突安全ボディでの割引を受けることが出来るという。

また、目に見える部分でのセーフティも当時はまだ一般的でなかった運転席SRSエアバッグとABSを全車に標準装備するなど、 アクティブ/パッシブセーフティの面でも優れた一面を持つ車である。